【第三回公募世界旅写真展 審査総評】
審査日|2015年12月15(火) 10:30〜16:00
審査行程|一次〜二次〜三次最終選考
入選者数|11名
〈審査総評〉
2015年 第二回世界旅写真展 審査員
竹沢うるま(以下U)/ 中村風詩人(以下K)
K|今回の審査は全体的にはどういう感じでしたか。
U|全体的にはレベルが高いなぁというのが第一印象です。みんなそれぞれ自分の主張したいことが写真に入っていたと思います。
K|主張したいことを写真で表現できているのは理想的ですね。
U|はい、ある程度自分の伝えたいことが見えてくる写真が多かったと思います。一方で、自分の主張があるのに「刷り込み」に引っ張られている人が多い印象も見受けられました。
K|それはビジュアル的に既視感を覚えるということですか。
U|そう、誰しもビジュアル的に色々なものをみています。応募者の多くも見て来た物に感化され、それを知らず知らずのうちに写真に反映してしまっているような気がします・・・。ですから、まずはそういう写真を省いていきましたね。
K|私は必ずしも他の人にビジュアルが似てしまうことは悪いことではないと思います。もちろん故意に似せるのは問題外ですが、結果的に似たものが出来るということは寧ろステップアップとして歓迎すべきことだと思います。
U|そもそもの話ですが、問題なのはビジュアルありきに主張をのせている感じがする作品が多々ありました。これはビジュアルの刷り込みのせいだと思います。本来的には「主張からビジュアルを表現すべき」ところです。
K|順序の問題ですね。表現としての写真は「訴えたいことがあってこういう写真を撮った」というのが本来理想としているところです。しかし実際は「こういう写真が撮れたからこんな訴えが合う」と、いわゆる後付けすることも少なくありません。違う序列の上に出来上がった作品というのは見ていて自然とそれが現れてしまうものですね。
U|そういった作品は技術的に高いレベルがあっても早い段階で淘汰されてしまいました。
K|そうですね、今回は技術的に高いレベルの写真が一次審査で落ちるシーンもよくありました。今思えばこの傾向は第三回の大きな特徴かもしれません。これは、決して入選作品の技術が低いということではありません。最後まで残った作品はあくまで高い技術なのですが、それが執拗に面に出ている訳では無かった、という点で違いがありました。
U|この人なんか実に上手いと思います。光の選び方もとても良い・・・。(うるまさんが手に取ったのは気仙沼を写したモノクロームの写真)
K|技術的にというのは構図や瞬間だけではなく、やはりプリントのクオリティ、その善し悪しがとても大きい要素でした。
U|そう、プリントのクオリティが基準に届いていない応募者は、おそらくデジタルで見ているものをプリントだと思い込んでいるんじゃないかな。
K|というと、画面で見ている写真こそ写真だ、というような。
U|えぇ。「デジタルで撮ったものをどれだけプリントとして見られるか」という意識が必要ですね。
K|最終的に私達審査員は、プリントを手にとって善し悪しを見定めています。ウェブ上でのアップロードで応募が出来るコンテストが増えている中、世界旅写真展はプリントを送って判断するという「プリントのもつ美しさ」にもこだわっていることはひとつ大きな特徴だと思います。
U|入選作品を見ていてもデータだけで見ていたら選ばれなかったものがありますね。組みにしてみようという考えにも至らなかったと思います。組みにしてみて、ぐっと魅力が増した人も多いですよね。
K|確かにそう思います。この作品はとても光の捉え方など素晴らしいのですが、2枚が並んでその輝きが数倍にふくれあがったように感じました。
U|そうですね。
K|ところでこういう大変強いインパクトのものも入って来ましたけど、こういった作品はどう思いますか。
U|旅の質感には必要だと思います。大げさですけど一種のインスタレーションのような旅として良い作品だと思います。この人の経験してきた時間が作品になっていますね。そういった経験への共感という意味では、こちらも面白いですね。 (※写真3:9点並べているスナップ写真)
K|多勢で見せる作品というのは、数打ちゃ当たるにはならないから不思議です。
U|というと?
K|送り手の気持ちを考えれば、これだけあれば数枚は良いのがあるだろう、と安直に考えることもあるかもしれませんが、実際は全く逆だと思います。1枚だけ良い写真よりも、当然10枚全てが良い写真、という方がハードルは高くなる。
U|やっぱりいらない写真というのは入れないほうがいいと思いますね。応募作品が上限枚数に満たないから仕方なく入れるようなもの。
K|それは特徴的なアドバイスかもしれません。
U|これは応募作品に入れなければ良かったのに、と苦渋の思いで落とした作品も多々ありました。代表的なものでいうと赤い椅子はやはり勿体ないように感じました。
K|本当その通りだと思います。あれは何で赤い椅子のシリーズを入れたのでしょう、あのシリーズが無い方が確実に全体の完成度は高い物になりました。
U|ブラジルのもそうですけど意図が分からない。「組としてセレクトしきれなかった」印象を受けてしまいます。こういう作品ならもう少し連続的な動作として意味を成して欲しかったですね。
K|そうですね、例えば5枚無ければ表現できないもの、あるいは5枚あることで表現が深まるもの、というのは良いのですが、この写真の場合は「1枚で良いところ5枚あった」という多少散漫な印象を与えかねない恐れがあります。
U|セレクトの敗因だと思います。セレクトもその人の感覚なので、1点を選ぶだけではなく複数枚あることで、ある種その人の作家性で選ぶことに繋がりますね。結局「これかこれ、どちらかが良い」と思うものが2枚両方とも送られてきていたらそれは「選びきれなかった」ということが伝わってしまいます。
K|と言っても私はこのサッカーの作品は大変素晴らしいと思っていました。
U|そう、中村さんはとてもその写真を推してましたね。
K|はい。ですが議論の結果納得するところが多く、惜しくも選出を断念しました。写真のセレクトについてですが、全点が素晴らしいという方もいました。
U|そう、この人なんかは写真に隙が無い。
K|写真に隙が無い、とても魅力的な表現ですね。ところで今回は、世界旅写真展という名前の通り「旅」についてコンテストですが、「旅写真」という視点で見直して入選作品に何かコメントはありますか。
U|僕が選んだのはその人自身の心の流れが写っているかどうかですね。それを感じるために旅をしているようなものです。例えば東京とか普段生活している所で感じる「心の流れ」があると思います。ですが、旅をしたときに自分の知らなかった場所で感じた「別の心の流れ」があると思います。そういった普段と違う「別の心の流れ」が伝わってくるものに自然と引かれてしまいました。言葉で置き換えられないものが良い作品だと思います。写真のもつ役割は、言葉で表現できないことを表すことです。つまり、写真でしか出来ないことが入っているものが魅力的でした。
K|「写真でしか出来ないことって何だろう」。これは私もとても前から頭の中にある言葉です。
U|あとは説明的・・・そう、真っ先に落選となってしまった写真は説明的なものが多かったです。「どこそこに行って来ました」という写真はやはり表現としては難しい。
K|誰しも旅にでた時、心が揺れると思います。うるまさんの言葉を借りるなら「心が流れる」。その瞬間「何を感じたかを表現する」ということが大事ですね。
U|話は変わりますが、「なぜ写真を撮るのですか?」と聞かれたら中村さんはどう答えますか。
K|写真を撮ることは自分探しだと思っています。カメラを持って知らない場所を訪れる、そこで自分の視点の延長にある景色を見詰めてシャッターのボタンを押す。私は「写真を撮るという一連の行為」それ自体をもって、日々どこか自分探しをしているような感覚を持っています。
U|あぁ、、僕はこの「なぜ写真を撮るのですか?」という問いかけに答えられる人は偽物だと思っているのです。この問いかけには「分かりません」と答える人が正しい撮影者だと思っている。言い換えれば、「撮らないと気が済まないから撮る」ということです。厳しく聞こえますが、この問いかけに「こうでこうで」と説明できる作家は、10年持たないと思っています。
K|でも気になりますね、どうして「みなそこまで写真を撮るのか」ということが。
U|そうです、撮らなくてもいいじゃないですか写真て。
K|きっとこの問いかけに頭を抱えた写真家達は少なくない。そういった写真家達は、いつしかカメラを筆に持ち替えて表現をしている気がしますね。
U|はい。
K|私からも話が変わりますが、写真の中に時間の要素が入ってくるのは、ひとつ素晴らしいことだと思っているのです。今回も多くの写真をみていてそれを強く感じました。
U|そうですか。僕は、それは作品の善し悪しには全く関係ないと思っています。
K|うるまさんの写真における時間についての考えを聞かせてください。
U|僕は第一に、「努力をし続けること」が本当の才能だと思っています。それで、なぜ努力を続けられるかというと、それはその作業が好きだからです。好きじゃ無かったら続けられない。それに、人のためにやっていることも続けられない。そういう意味での努力という時間の積み重ねは評価できることですが、ただ時間だけをかけた作品というのに意味はないと思います。
例えば、写真集も同じで「3年かけて撮りました」という文句はよく聞きますが、蓋を開ければ3年前に一週間行って撮ってきて、もう一度最近一週間いってきただけの作品が多くあります。こういう意味での3年という時間は意味がありません。
K|確かに、時間の長さではなく密度の大切さを感じるご意見です。
K|最後に次回応募を考える方にあてて、何かメッセージを頂けますか。単純に頑張ってくださいというよりは、「旅写真というものがこう発展していくと良いんじゃないか」という範囲まで含めた言葉を期待しています。
U|第一回から審査している訳ではないですが、中村さんとのやりとりから「回を重ねる度に完成度が高くなっている」ことを感じました。
K|そうですね。毎年作品レベルが上がっていると確かに感じています。
U|それでも「刷り込みから開放された写真を見てみたい」という欲がでてきてしまいました。全く見たことのないような写真を見てみたいという欲。まるで写真という常識をひっくり返したような写真です。
K|刷り込みからの開放。奇をてらった意味ではなく、その時代にしかない写真、その時代にしかない表現・・・。
U|でもストレートに「新しい表現」というと苦になるかもしれません。僕自身新しいことは出来ませんし。やはり「自分が感じていることを表現するために、どうすれば良いのか」について考えることが大事だと思います。そこから生まれた写真が見てみたい。
K|自己表現をたった一枚の写真に落とし込む。少し哲学的なご意見です。
U|そう、まさに写真の難しさであり面白さです。
K|では、次回のご応募を考えた方には、面白さと難しさの間でモヤモヤと考えていただくことになりそうですね。
U|モヤモヤしてもらいましょう。想像はフラストレーションです。
K|はい。それではありがとうございました。また詳しいお話を対談イベントの時に伺いたいと思います。
U|はい、展示も楽しみにしています。よろしくお願いいたします。