今まで80カ国以上を訪れ撮影してきた、旅写真家の中村風詩人(なかむらかざしと)さん。今回は、そんな中村さんが昨年出版された『小笠原のすべて』という書籍について、それに合わせて開催された写真展についてお話を伺っていきます。今回はよろしくお願い致します。
── 『小笠原のすべて』はガイドブックと一言で言ってしまうには勿体無い、とても贅沢な作りですね。
中村 ありがとうございます。写真集としても楽しんでもらえる装丁にしたかったので、約20ページのグラビアを設けました。
── ページをめくるたび美しい写真に惹き込まれてしまいます。写真集のようでありながらも、タイトルに「すべて」と付けることはとても勇気のいることだったのではないかと思うのですが…。
中村 小笠原のガイドブックって、他の場所に比べると元々種類が少なかったんです。1冊あれば困らなくて、尚且つずっと手元に置いておきたくなるような本があればいいのになぁ、と私自身通っているうちに思うようになりました。「すべて」というのは、この島に魅了され通い続けた「私が見てきた小笠原のすべて」なんです。なので「すべて」と付けることに迷いはありませんでした。
── 中村さんは今までたくさんの国を旅されていますが、なぜ通い続ける場所となったのが小笠原だったのですか? 海の写真集を出されていることにも繋がってくるのでしょうか?
中村 学生時代から海が好きだったんです。落ち込むことがあるといつも海を眺めていて、気が付いたときには海の写真を撮っていました。海を見に行くというよりは “海に会いに行く” という感覚でしたね。2011年に世界一周の船旅をする機会があって、そこで更に海の魅力に惹き込まれていきました。いつ見ても違う表情、様々な色を纏う海の姿に毎日胸を高鳴らせていたのを今でもよく覚えています。それと同時に海ってなんだろう、もっと海のことを深く知りたい、と考えるようになったんです。その答えを求めて、海の王者に会うために選んだ場所が “小笠原” でした。
── 海の王者とは、つまりクジラのことですよね。書籍の中でもクジラのエッセイがとても印象的でした。中村さんにとってクジラは特別な存在なんですね。
中村 そうですね。海のことを知りたいと思ったとき、一番にクジラの姿が頭に浮かびました。そして、初めて小笠原に行ったそのとき、幸運なことにすぐにクジラと会うことができたんです。乗り込んだホエールウォッチング船の目と鼻の先にザトウが飛んで、カメラのファインダーを覗くと望遠レンズに映ったザトウと目が合ったんです。今でも目を閉じればあのときのクジラと目が合います。「またあのクジラに会いたい」、その思いで毎年小笠原を訪ねるようになりました。
── 小笠原へ通うことになったきっかけは、ザトウクジラの瞳だったんですね。では、訪れるたびにホエールウォッチングを?
中村 はい。滞在中海に出ていない日はなかったかもしれません。山に登ったりもせず、ずっと海にいました。本当にただクジラに会うために小笠原に来ていた感覚ですね。
── そんなにも夢中になれるものに出会えたというのは、なんだか羨ましくもあります。その後、クジラだけではなく小笠原の自然や歴史に興味が移られたのは何がきっかけだったのでしょう?
中村 それは、小笠原が世界遺産に登録された理由が「陸の生態系」だと知ったことがきっかけでした。
── 小笠原は観光としても「ボニンブルーの海」の印象が強いですよね。
中村 そうなんです。初めて知ったときは私も驚きました。それと同時に、小笠原の自然の素晴らしさをちゃんと知りたいと思ったんです。それからは山にも入り、オガサワラやムニンと名の付く固有種を見るたびに歓喜していました。すごく奥深いんですよ。そしてある日、山の中で戦跡を目にしたんです。長い時間放置され朽ち果てた戦争のあとが美しい自然と共に残っていて…。そこから歴史にも興味をもち、色々な書物を読んだり、島の人に話を聞いたりしました。
── ガイドブックって、「どこどこのガイドブックを作るために取材に行きましょう」という流れが多いと思うんです。ですが、中村さんの場合はザトウクジラをきっかけに島全体に興味を抱き、魅了され、気が付けば長年通っていた、それが結果として書籍となった。だから、他のガイドブックにはない「新しさ」が感じられるのかもしれません。小笠原を愛する想い、自然への敬意が大きな土台となっていて、訪れる人にとって役立つ情報がその上にのっている。こういうガイドブックが増えたらいいなと、本当に思います。
中村 そう言っていただけると嬉しいです。
── すべての写真をご自身で撮影されているガイドブックというのも、私は見たことありませんでした。しかも、小笠原の場合は固有種が多いので、その点も他の場所と比べてとても大変なのではないかと思うのですが…。
中村 それは自分の中で譲れない部分でした。写真を借りることは簡単ですが、書籍を手にとってくださった方には “自分の目で見た小笠原をきちんと伝えたい” という思いがありましたね。ただ、小笠原植物図鑑、鳥類、魚類図鑑というページがあり、切手サイズの写真なのにオガサワラシジミやオガサワラタマムシなど全てを撮るには時間がかかりました。
── 嘘か本当かわからない情報が溢れている現代ですが、中村さんの決意のなかには “伝える責任” みたいなものもすごく感じられます。陸の生態系ももちろんですが、水中写真も全てご自身で撮影されているのには驚きました。
中村 書籍を作ることを決意する前は、海上のクジラしか知らなかったんです。船の上からクジラを見ていたので。でも、海の中にいるクジラの姿をちゃんと見ておきたいと思い、まずはスキンダイビングの教室にいきトレーニングをしました。もともと泳ぎは得意だったのですが、小笠原の海ではこれまで3人ほど写真家が帰らぬ人となっているので油断は出来ません。それで潜水のトレーニングを重ねてから、本格的な水中写真の機材を揃えて海に入りました。
── 海の中でクジラを撮影することに対しての不安などはありましたか?
中村 それは不思議とありませんでしたね。海に入って初めてクジラと一緒に泳いだときに、クジラが「撮っていいよ」と言ってくれているような気がしたんです。そのとき「この島に、クジラ達に、受け入れてもらえたんだ」、そう思えたので安心して撮影することができました。動物同士特有、通じ合えるものを感じました。
── どれくらいの間、潜って撮っているのでしょうか?
中村 よく他の方に聞かれるのはボンベを使っていると思われます。素潜りで一緒に泳いでいることを伝えると驚かれます。おそらく水面下にいる時間は1分もないと思うのですが、併走している間は永遠に感じます。ボンベを背負ってクジラの下に回り込んだりもしましたが一体感がありませんでした。素潜りでも10メートルくらい潜るとクジラの目線の高さくらいまでは潜行できるのでその方が一体感がありました。
── 通じ合えたというクジラは、初めて小笠原を訪れたあの日に目が合ったザトウクジラだったのかもしれませんね。出版と同時に写真展『time in whales』を開催されていますが、この展示名にはどのような想いが込められているのでしょうか?
中村 展示を開催した2018年は、小笠原諸島返還50周年となる年でした。小笠原に回遊するザトウクジラが寄り添ってきた時間の流れに重ねて、これまで島が歩んできた歴史を見てもらえたら… そんな想いから『time in whales』と付けました。
── 写真展を拝見して、その大胆なレイアウトがとても印象的でした。不規則なようで規則的なゆらめきが波のように心地よくて、会場に足を踏み入れると不思議と身体が浮遊しているかのような感覚になったのを覚えています。
中村 都会の真ん中に海を作れたらと思いました。ザトウクジラと一緒に泳いでいる感覚になってもらえれば嬉しい。見に来てくださったお客様に「泳ぎが苦手で海には入れないけれど、まるで自分も海の中にいるような気持ちなれました。ありがとう」とおっしゃっていただいたときは嬉しかったですね。
── 私も泳ぎが得意ではないので、そのお客様のお気持ちがよくわかります…。「海のなかにはこんなにも美しい世界が広がっているんだ」と感動しました。今までも映像や写真などで海の中の世界をみているはずなのに、とても不思議な感覚でしたね。
展示会場によってそれぞれレイアウトや額装を変えられていたことにも、中村さんの強いこだわりを感じました。東京(銀座)、名古屋、大阪、栃木、群馬、水戸、仙台など全国巡回展を終えられて、今のお気持ちをお聞かせください。
中村 やはり会場によって壁の長さも天井の高さもいらっしゃるお客様も変わります。レイアウトや額装を変えることは簡単ではありませんが、その場所に合わせた展示方法を考えるのは楽しくもありました。ありがたいことに本当に沢山の方に足をお運びいただいて、「小笠原に行ってみたくなった」というお声も多く聞くことができました。訪れる度に新しい発見がある小笠原は、時間を作ってでもまた行きたい、すべてを見てみたいと思った魅力的な場所です。そんな小笠原の素晴らしさを、自分の写真を通してこれからも伝えていきたいと思っています。
【PROFILE|中村風詩人】
(プロフィール写真)
世界一周、南太平洋諸国一周、東南アジア一周、オセアニア一周、欧州一周、などを旅して2018年現在80カ国以上を撮影。各国観光局のパンフレット等を製作。また日本橋三越はじめ各百貨店や新聞社ホール、客船上での公演や写真講座、全国的にフォトツアーや世界旅写真展主審査なども務める。代表作に世界3周分の海の風景をおさめた写真集『ONE OCEAN』出版。海の風景は広島県の切手にも採用。2018年4月に著書『小笠原のすべて』(JTBパブリッシング)を上梓。同出版記念公演は300人を動員、展示は銀座・名古屋・大阪キャノンギャラリーを皮切りに宇都宮東武百貨店・高崎高島屋・水戸京成百貨店・仙台メディアテーク・スズラン百貨店前橋など全国を巡回し、述べ10万人の来場を記録した。また旅写真の一方で建築撮影にも力を入れており、『本能のデザイン』(実業之日本社刊)の作品も出版している。
[Written by Maaya Hoshi]